空回り
天王寺1st。
今日はなんか空回り。受けを逃すとこっちも楽しくなくなってきてさらに受けを逃す。
日々良かったり悪かったり。結局自分の気持ち次第なのか。今日は楽しめなかったような。それでも平均点の受けはあったのだが。
楽しめなくても平均点が出るほど完全に慣れてきたのか。
こんな時もある。日々生もの。
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天王寺1st。
今日はなんか空回り。受けを逃すとこっちも楽しくなくなってきてさらに受けを逃す。
日々良かったり悪かったり。結局自分の気持ち次第なのか。今日は楽しめなかったような。それでも平均点の受けはあったのだが。
楽しめなくても平均点が出るほど完全に慣れてきたのか。
こんな時もある。日々生もの。
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阪南1st。
今日は楽しかった。だって、いろんな人物生きること出来るんだから。落語の世界のような古き良き大阪のおかしき人間模様。
保護者たちも見に来てて、親子劇場的な空気感で、結構受けてた。
体も自由になった。軽くなった。勝手に動くようになった。今まではガチガチだったかも。
昨日の学校の感想文、面白かった。声やってる人がすごいとかうまいとかバリエーションがあるとか、うれしいね!
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西淀川区1st。
絵が浮かんでるか。喋るときに。
今日はきっちり台詞を読まず、自然に喋れたと思う。やっと芝居らしくなってきたか。
だから無茶苦茶疲れたけど、楽しかった。特に傘屋は客席が「大夫独断場」の空気感だった。
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住之江1st。
久々のような気がした。わずか三日ぶりなのに。中学続いたせいだろう。最初ちょっと緊張した。途中からなじんできたけど。
まだ台詞を読んでるよね。感情のみになってない。これは長年の癖だね。直していかねば。
台詞を読む・・・言葉を外側からなぞる感じ。言い方だけ。心空っぽ。頭冷静。楽しくない。体は楽。
感情を出す・・・言葉を内側から絞り出す感じ。台詞がどう聞こえてるかはわからない。腹熱い、腹痛い。でも楽しい。劇中の世界に存在できる。
子雷、初めて受けた。イナビカリも受けるようになってきたし。雷一家の場面、できるようになってきたのは楽しいこと。やっぱ、それぞれの人物、明確に分けること必要。
声だけなんだから、「早く喋る」「ゆっくり喋る」「高い声」「低い声」これだけでも全然違う。
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高石1st。
疲れた!二週間休みなし。中学日替わり張り出し二連ちゃん。週末。ほんま疲れた。芝居も役者に「素っ気ない」とか言われたし。
声の変化、もっと明確な方がいいんだろうな。
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和泉2st。
大夫になって初めての午前2。朝一の音合わせは声が出なかったけど、少し体を動かしたらびっくりするくらいに声が出るように。「体」という楽器は不思議。「声」って不思議。
本番は、いつもどおりに受けへんかった。子供が静かというか真面目というか。受けへんかったら落ち込む。やってて楽しくない。いやになってくる。
響かない小屋で、雨も降っていて、しんどかった。午前2もしんどかった。とらやんみたいな筋肉痛はないが、全身がエネルギー消耗で疲れる。
しゃべくりと動きの面白さで見せる芝居だが、「しゃべくりの面白さ」がまだ身についてないということ。M氏のような「風格」もない。まだまだ若手大夫という感じ。
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本物、八尾1st。
今日も暑かった!何年か前にやったことがあるので、低学年のみの1st。週末で、元気な低学年で、ほんま疲れた!声も高音部が若干裏返ったりした。以前のような喉痛や喉枯れはなかったが。(腹式のおかげか)
低学年は台詞より動きに反応するので、ほんま疲れた。大夫として楽しめたかどうか。見に来た制作部員は「面白かった」と言ってくれたけど。
とにかく三週間続いた本物、やっと終了!!
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本物、河内長野1st。
この芝居、舞踊歌芝居である。歌である。特に最初の口上はこの芝居を客に印象付けるためにも大切なところ。(大声出すのが目的ではなく)
今日は歌芝居であることを意識して「音域」をできるだけ広げてしゃべってみた。音域、音程を作るのは「腹の支え」である。腹の支えがないといろんな音を出したりキープはできない。今日ほど腹を使ったこともなかったかもしれない。
感情を出せば同時に腹も使うが、感情だけでは音域は一本調子になりがちである。(今ままでは感情のみで腹を使ってきたが)
M氏の「語り」も絶好調の頃はまるで「歌を聞いてる様な名調子」だった。
今日ようやく大夫の深みに一歩踏み込めたと思う。
芝居ではない。歌である。
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本物、豊中1st。
今日は暑かった!久しぶりに汗かいた。
思いきり生きることを心がけた。一人一人の人物の人生。どうしても全体の流れの中で、一人一人の人物のエネルギー浅くなりがちだけど。その瞬間、その人物は思いきり生きてるのだから。それをすべて一人で演じなければならないのだから。
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本物、奈良1st。
今日は風呂屋。マイク響きすぎるため、音量に気を使う。これも一種の「マイク芸」か。
とにかく、しゃべくりだけで「世界を作っている」わけで。役者は舞台で動いているが、それはないものとして、話芸のみで風景や人物や出来事や情感やらを描き出し、観客の想像力を楽しませる。まさに落語の世界か。その面白さ。それのみを追求しよう。役者なしでも面白いと思えるほどに。大夫は役者に合わせてしゃべるのではない。大夫が語りかける対象は観客(の想像力)である。
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本物、奈良1st。
大夫になって初めてのフロア芝居。客席間近で緊張する。大夫の力量さらに試される。いろんな経験できて幸せ。場数を踏むのは大事なこと。
今日は人数少なかったので、マイクの音量小さめで生声に近く、迫力に欠ける。マイクのごまかし効かない。生の芝居もろに試される。
子供は受けてくれてたが、大人の受けが少なかった。じっくり聴かせたりうならせたりするほどの「しゃべくり芸」がまだないってこと。精進、精進。
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本物、堺1st。
若い子たち何人か見に来る。初めて見に来た時に比べれば、落ち着いてできたと思う。しかも納得しながら。この経験の積み重ねは大きいよね。「前より面白かった。前は緊張緊張だった」と言ってくれたし。
生活感が出せればいいんだよね。おかん、船頭、婆、傘屋…。だから、緊張したり、力が入ったりもしない。生活してるだけなんだから。日常なんだから。その機微が出せれば。
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本物、和歌山1st。
今日は舞台を観ずに客席向いてやってみた(台詞はまだ完璧ではないが)。舞台を見ながらの「ライブ感」はないし、なんだか不安で楽しくないし、役者無視でテンポも早いのでは?と思って、幕間に役者に聞いたところ、「テンポは速くない。稽古初めの頃みたいなテンポですごくやりやすい」と。
やっぱり舞台は見ない方がいいのか。大夫のテンポで突っ走った方がいいのか。役者を見ながらではどうしても役者に「合わせる芝居」になってしまうし、テンポも悪くなるのかも。
舞台を観ずにやるということは、相当「自信」がないとできないことである。舞台で何が起ころうと突き進む勇気も必要。つまり、おまえら、おれの芝居に合わせろ、と。おれの芝居について来い、と。
おれの方が面白い、おれがいちばん面白い。それくらいの自信がないとやってられない(M氏が稽古初めのころそんなことを言っていた)。
「落語家」「噺家」のように「独立した存在」としてがんばらなあかんということ。何度もネタ繰ってどこでもいつでもできるようにしとかんと。ひとりでも笑い取れるようにしとかんと。
「話芸」だけでわらかすんやから。客が聞いてるのはおれの「声」だけ。
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本物、和歌山1st。
声出しすぎだと思うので、少し抑えて、というか、気持ちをもっと出す方向でやってみた。
おかん、婆、だいぶニュアンス(表情)が出るようになった。声に色もついてきて、芝居らしくなってきたというか。情景(風景)が浮かんで、そこに身を投じて、その人物になることができる。客としてその世界に入って感情移入できる。納得できる。
つまり、演者の心が動いてるってこと。やってて楽しい。これが芝居をすることかとも思う。これなら「大夫の芝居」として自信を持って見せることもできる。
今までは、台詞をしゃべってるだけだった。大きな声を出してるだけ。テンポよくストーリーはわかるが、情感が残らない。
大きな声を出そうとすれば、台詞の情感や色、表情が消えてしまう。マイクで拾ってるのだから、大きな声を出す必要もない。マイクを前にして本番となるとついつい力んでしまうが、それをしないですむ勇気を持とう。
演出が稽古来たときに声出しすぎとか言われていた。「客を口説くようにしゃべれ」と。口説くときには頑張らない、と。今そのダメ出しがようやく実感としてわかってきた感じ。
傘屋以降はまだまだ力み傾向があるので、もっと傘屋の生活感とか出せるようにしたいな。
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